2018.02.24 Saturday

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    2017.02.28 Tuesday

    トラクターで田んぼの荒起こし。

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       明日にはもう3月と言う日になり、ギリギリ関東な大子町は、

      もはや積もるほどの雪に見舞われる率はかなり低くなります。

       

       2月初めに水路を掘り、だいぶ田面も乾いてきたので、荒起こしの

      作業を行う事にしました。

       木村秋則さんによると、荒起こしは施肥よりもよほど重要な
      事なのだそうです。荒起こしの出来を見るだけで反収が
      わかると著書に書いておられました。

       乾土効果でどれだけ、好気性菌を働かすことが出来るかが

      大事なのだそうです。

       

       今日の相棒は田んぼのオーナー所有のクボタトラクターです。

      トラクターを使った耕うんも生涯で初の作業となります。

       

       前回のパワーショベル作業の時に貴重なアドバイスをくれたNさんが

      ちょうど隣の田んぼであぜの手入れをされていたので、挨拶した後に

      荒起こしを行う事を告げて、またアドバイスを頂くことにしました。

       ところが、慣行農法の考え方では、木村秋則式自然栽培ほどの荒さは

      ダメなようで、今回は残念ながら嚙み合いませんでした。

       

       農文協の「イネつくりコツのコツ」に荒起こしは浅く荒くと

      書いてあったので、ロータリーを浅めに設定して、

      ロータリーのスピードは一番遅く、走行は2速でやってみましたが、

      木村式自然栽培米マニュアルのような荒さは達成出来ませんでした。

       

       ロータリーの上のカバーを高めの位置にするようにピンを

      入れ替えるって知恵が作業前に働かなかったのが原因のような

      気がします。全部終わってから気が付きました。

       

       深さも、さすがに浅すぎたんじゃないかとも思います。

       

       再度トラクターを入れて更に細かくしてしまっては乾く土も

      乾かなくなると思って、今年はこの出来で諦めます。

       秋に失敗が確定したら、このブログを読み返す事で来年度に

      生かそうと思います。

       

       トラクターで作業する私をノスリが見下ろしていました。

      猛禽が電線にとまっているとけっこうな迫力です。

       トラクターが通り過ぎた田面ではハクセキレイとモズが

      忙しく採餌していました。

      2017.02.25 Saturday

      三楽斎 岩附城址へ!

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        JUGEMテーマ:歴史

         

         

         三楽斎をハンドルネームにしているのに、三楽斎の居城だった岩附城址に
        行った事がありませんでした。


         その無念を本日、ようやく晴らすことが出来ました。

         田植え機の受け取り場所を調べていたら、岩附城址の近くである事が
        わかったので、これはチャンス到来!約束の時間が午前9時なので、
        城址散策の時間を確保できるかどうかは、早朝に起きられるかどうかです。
        虚仮の一念の言葉通りに、当日の起床時間は午前1時。余裕をもって
        午前4時には出発して、7時には岩附城址に到着できました。

         


         城址公園内を歩くと、はじめは広めの都市公園にしか見えませんでしたが、
        途中から、なかなか保存状態のいい土塁が現れました。解説版によると、
        北条氏支配の時代末期に秀吉の小田原征伐前に普請された遺構で、
        新曲輪と言われていた部分だそうです。



         岩附城は平城とか水城とか言われるような城なので、大田原城や
        赤坂城のように、本丸が高い場所にありません。本丸は現在は住宅地の
        真っ只中。恐らくマミーマートがあるあたりです。

         

         二の丸って言う碑を県道の歩道で発見する事が出来ました。

         三の丸だった場所に本丸公民館があり、その辺りから久伊豆神社へ
        向かう住宅街の道路は、元沼だった部分が低くなっていました。


         ブラタモリを視聴していなかったら気が付かなかった事だと思います。
        現在残る地形から、往時の地形を想像するのって楽しいです。

         


         久伊豆神社は本殿こそ焼失の影響で新しかったものの、それ以外の
        境内の様々な施設が歴史を感じるものが多くて雰囲気が良く、
        訪れて良かったと思える清浄な空間でした。

         

         城があった頃は新正寺曲輪と言う外郭内にあり、太田三楽斎道誉も

        深く信仰していたそうです。

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